記憶回路

犬猫飼い、漁港好き、旅好き、東京在住の写真屋MASAYAのブログ

みんなのもの

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道路も建物もインフラも、それはヒトの作ったヒトの持ち物かもしれない。

けれど、その礎となる土も空も海も風も光も、ヒトだけの物なんかじゃない。 

だからこの地上をヒトの場所と決めつけて、この子たちの命の意味を決めてはいけないのです。

この子たちの背中をみててそう感じたのです。

猫達に見えない人間になりたい

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一時期お休みしていた旅先で出会う猫たちの撮影を再開しはじめました、そうすると昔も今も思うのは「猫達に見えない人間」になりたいと言う事。

 

出来る限り「町で生きてるままの様子」を撮りたいのでなるべく気配を消すのですが、所詮こっちは人間なのであっさりバレてしまうのです(笑) 

 

以前試しに超望遠を使ってみたものの、自分が撮りたいと思う様な小さな集落や漁村に生きる猫の構図作りでは極端に寄れるレンズと狭いレンズではかえって邪魔になってしまいますし、自分は猫へより気味の写真はあまり撮らないので100mmもあれば十分なのです。それにどちらかというと強くボケた画も好みではないのです^^ 

 

撮りたいのは町の一部である猫の生きる姿、特別な存在ではない「共生のかたち」なのです。 

 

ああ、猫に気がつかれ無い様に、どこかに熱光学迷彩でも売ってないかなぁ(笑)

悩ましき肉じゃが

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以前は都市伝説かの様に男のハートは肉じゃがで仕留めろ的な事が囁かれていたが、あれは一体どこに言ったんだろう。

 

あれはCMによって作り出された幻想なのかな、あれで随分と男は肉じゃがが大好きだと勘違いされたはずだ。

 

思うに、肉じゃがとは家庭料理の中でも最上級に「いつもの味」が求められる料理だ、シンプルが故に調味料の種類や入れる順番を少し変えただけでも味が変わる、だからそのいつもの味を超えるなどと言うのは簡単にはいかない、単純に味が優れているかどうかではないのだ。

 

その証拠に定食屋さんでも扱いづらい肉じゃががメインディッシュになってるケースは、個人経営のお店でもない限りはあまり多くはないはず。ほとんどが副菜か、おまけ程度に定食の1品になっている。

 

だから、新しく生まれた家庭では、時間をかけて慣れて一番の味になる事はあっても、いきなり一番なんてありえない。ただ作り手の全体的な味付けの濃さや仕事の丁寧さは測れる、それを理解している人なら指標にはなるだろう。

 

で、ここまでダラダラと余談を話していて最大のテーマはまだ出ていない。そうだ、成り立ちが親戚である家庭カレーと同様、何肉を使うかがテーマなのだ。

 

それぞれの肉にそれぞれの良さがある、そしてその出汁でまったく個性も変わる…悩ましいところだ。

そういえば昨日16万キロ超えたんだ

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2010年5月にホンダインサイトが納車されて8年半、年間2万キロを割ってる事を考えると以前に比べると乗らなくなったなぁと言う印象。


高価なハイブリッドバッテリーも購入時の心配をよそに無交換でここまて頑張ってくれてる。去年くらいからかな?減りの速さが顕著にはなってるけど、それでもチャージは直ぐしてくれる、まあおかげで燃費は落ちてるけど(笑) 


ハイブリッドカーが一般的になる初期の頃の車で走行部品は丁寧に作られているのか、それともたまたまなのか、とにかく故障は少ない印象で、実際のところエアコンの小さな部品が一度壊れて交換しただけ。もしかしたら、エンジンの熱量が少なめだから補記類の持ちもいいのかもしれない。


お金がとにかくかかったのはタイヤ代、と言っても車のせいではなくて自分の運の悪さが理由、とにかくよくパンクした…ここ一年はしてないが、ひどい時は3ヶ月連続でした記憶がある。で、この車って緊急タイヤの載っていないタイプだからもうどうにもならないんですよね。一時期は同サイズのホイールセットを買って載せとこうと思ったくらい。


とまぁそれでもあまりお金のかからない良い脚だったこの車、まだ乗れる気がするけれどもう次の車検は通さない、大丈夫だろ?と高を括ってお金をかけると壊れるってのは良くあるパターンなんで(笑) 


で、次の車…注文してあるけど本当に間に合うのかなぁ、計算すると早まらない限り予定は4月なんですよね。そして今度は背中にタイヤを背負った車だけにパンクも安心です(笑)

最後に踏んだ地面

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現代で考える自殺というものとはまた違う意味で「死」へ自ら向かわねばいけない状況と言うのは、筆舌に尽くしがたいものがある。


だからもちろんボクにはわからない。 


ただわかるのは、必死の兵器である回天に乗り込み、帰還は無いと言う出撃において、その多くの兵士達が最後に踏んだであろう地面がここであると言う事。

 

どんな想い、どんな願いがこの地面には染み込んでいるんだろう。