記憶回路

犬猫飼い、漁港好き、旅好き、東京在住の写真屋MASAYAのブログ

懐かしきアーケードの懐かしきお食事処

徳山駅から歩いて5分、目抜きから1本入ると戦後には闇市があったと言われているアーケードがあります。

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こういうところはどこの街でもそうそう違いがあるものではなく、「昔は闇市だった...」というお話を伺うと、「ああ、やっぱり」と既視感のある様子なのです。

その中を歩いているとぽっとあらわれる一軒のお店、「お食事処 加寿之屋」さん。

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なんとも素敵な佇まいです、そしてこの手のお店は常連臭も漂うので慣れていないと非常に入りにくい、このお店もほとんどの通りがかりの人は間違いなくスルーしてしまうでしょう。

でもこういうお店にボクは惹かれてしまうのです、懐かしい空気感はもちろんなのですが、メニューをみたり味わったりでその町の食の傾向もなんとなく感じられるので好きなのです。

まずは大事なのはショーケースで確認、中には間違いなく料理の姿が計れるメニューはありませんから(笑)

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悩みます... 実は以前の徳山旅行ではタイミングが合わずに入れなくて、悔し紛れにちょっと調べていたので代表的なメニューらしくものは知ってしまっています。

ここでもサンプルのある「ちゃんぽん」は独自のものらしく非常に興味が... しかし鉄板で供される「カルビ」や「上ホルモン」も捨て難い。

意を決して、いつも通りの口癖の様な「一人ですけどよろしいですか?」の言葉と共に入店した。

店は決して広くない、2人で丁度良いテーブルが3つに2人が座れるくらいのカウンター、この日はまだ日曜日のお昼前だというのにすでにテーブルもカウンターも先客が。(他のお客様の迷惑になりますので店内は未撮影です)

空いているテーブルに座り、短冊のメニューを見ると決まりかけていた心がまた揺らぐ... がしかし初志貫徹!「上ホルモンとライスをください」。

しばらくして鉄板で焼かれている料理が出てきた。

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これは... ご飯よりビールだろ... と思いつつも、午後は島に渡って撮影の予定だったので泣く泣く我慢、本土に帰ってきてからでは閉店しているので今回はライスで我慢です(笑)

料理はというとご想像通り、ものすごい美味い!のではなく、ホッとして美味しい味で、お店の方も丁寧で優しい温かいご対応、それはまさにボクが求めていたものそのので感激でした。

次回はカルビも食べたいし、ちゃんぽんも食べたい、そしてラーメンも... また悩むんだろうなぁ^^

 

店舗情報が少ないのでとりあえず食べログのリンクを張っておきます。

https://tabelog.com/yamaguchi/A3505/A350501/35004108/

 

日曜営業ですがたしか平日のどこかで1日定休があったような... そして現時点でのオープンは10時くらいで夕方までの営業でした。

月に一度、旅人になるという事

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有り難い事にお仕事は忙しくさせて頂いています、シンプルに撮影業務を行いそれに付帯するデスクワークなどなど、丸一日が何もない休みと言うのはなかなか取れない状況です。

しかしだからこそ、月に一度の一泊二日の旅は欠かさずに出ると決めています。

リフレッシュ?いやどうだろう、家で一人目を閉じ大人しくしている方が身も心も休まるだろう。むしろそれより、不規則ながらも出来上がってしまう仕事のリズムのような物を強制的に破壊し、一度ゼロの自分に戻すと言う要素が強いと思います。

そして旅にはあまり多くの要素は盛り込まない様にしていて、決めているのは一つだけで「新しい何かに触れる」と言う事で、いわゆるそれが旅のテーマとなるのです。

それともう一つ、そうした旅での写真をまとめてその都度に一冊フォトブックを作ろうと思っています、我が家の棚に並べるだけなので表に出る事は恐らくないですが、そんな楽しみもいいかなと思ってるのです。

さて、来月は何をテーマにしようかな。

カレーと牛丼の出会いの思い出

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20代半ばの頃、少しだけ住んだ練馬で良く行っていた個人経営の蕎麦と牛丼のお店でカレーと牛丼のセットを覚えた。

見た目は写真の様に別盛りではなく、皿に盛ったご飯に半分づつ合い盛りしてあり、その店では「合い掛け」と呼んでいた気がする。

まだ当時は吉野家が一強でメニューも牛丼のみだった時代、初めて見たそのカレーと牛丼の合い盛りに違和感を覚えつつも興味本位で頼んでみた。

出てきた料理の牛丼部分をまずは食べてみた、長い時間が経った今でもまだはっきり覚えているほどそれはマズかった…ほんのり甘しょっぱく牛肉の匂いが少しするパサつき気味の肉とタマネギ、あああ…と思いつつ今度はカレーを口にする、こちらは良くありがちな業務用カレールーのカレー、不味くは無いが美味くもない。

ああ、失敗したな…と思いながら、カレーと牛丼の境界線の辺りをスプーンですくい口に運んだ。

あれ?美味いじゃん、コレ。

そうなのだ、このメニューは混ぜてこそ本当の姿になるのだ、しかも予め混ざっているのではなく、自分で混ぜてから食べるので肉がカレー味になり過ぎず丁度いいし、カレーにも牛丼の風味が隠し味になって美味い。

こんな食べ方もあるんだな…と、そのあと練馬にいる間は何度も通ったのだった。そして練馬を離れて数年後、店の前を通るとその汚い雑居ビルは消え、小綺麗なビルが建っていて店はどこにも見当たらなくなっていた。

平成ヒトケタの頃の懐かしい思い出なのである。

みんなのもの

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道路も建物もインフラも、それはヒトの作ったヒトの持ち物かもしれない。

けれど、その礎となる土も空も海も風も光も、ヒトだけの物なんかじゃない。 

だからこの地上をヒトの場所と決めつけて、この子たちの命の意味を決めてはいけないのです。

この子たちの背中をみててそう感じたのです。

ボクはこの海の向こうが見たいんだ!

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島からの小さな密航者は最終のフェリーに乗り込み、未だ見ぬ本土を目指そうとした…のかな?

 

※もちろん船員さんに、こらこらダメよーと追い出されていたのでご安心を(笑)

猫達に見えない人間になりたい

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一時期お休みしていた旅先で出会う猫たちの撮影を再開しはじめました、そうすると昔も今も思うのは「猫達に見えない人間」になりたいと言う事。

 

出来る限り「町で生きてるままの様子」を撮りたいのでなるべく気配を消すのですが、所詮こっちは人間なのであっさりバレてしまうのです(笑) 

 

以前試しに超望遠を使ってみたものの、自分が撮りたいと思う様な小さな集落や漁村に生きる猫の構図作りでは極端に寄れるレンズと狭いレンズではかえって邪魔になってしまいますし、自分は猫へより気味の写真はあまり撮らないので100mmもあれば十分なのです。それにどちらかというと強くボケた画も好みではないのです^^ 

 

撮りたいのは町の一部である猫の生きる姿、特別な存在ではない「共生のかたち」なのです。 

 

ああ、猫に気がつかれ無い様に、どこかに熱光学迷彩でも売ってないかなぁ(笑)